着想と宗教の壁

温かい空気は外気よりも軽くなる。この事実に気がついた人物は古くからいたことでしょう。ただ、正確な事実としては残っていないため、実際に誰がはじめて気球を作ったのかは分かりません。

伝承には、三国時代に諸葛孔明が救援を呼ぶために作った、1241年にポーランドでモンゴル人が通信手段として作ったなど言われていますが、いずれも定かではありません。

確実なもののなかで最も古いものは、ポルトガル人のバルトロメウ・デ・グスマンでしょう。彼が1709年に飛ばした実用模型の図面は現代まで保存されています。ただ、当時のポルトガルは異端審問熱が高まっていて、彼の研究は神の領域に手を伸ばすものとして中断を余儀なくされました。

気球に人を乗せて空へ

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熱気球により初めて空を飛んだのはフランスのモンゴルフィエ兄弟でした。

時はグスマンの時代から80年も後の1783年のことで、彼らは煙突の煙から着想を得たと言われています。
そして、その10日後に理科で習うシャルルの法則で有名なジャック・シャルルがガス気球(水素気球)で空を飛びました。彼らはお互いを尊敬しており、シャルルのガス気球実験の際にモンゴルフィエ兄弟に上空の風を調べるための小さな気球を飛ばしてもらった逸話もあります。

また、この時の偉業をたたえて英語やフランス語では熱気球を「モンゴルフィエ」、ガス気球を「シャルル」と呼ばれたそうです。

気球の一時的な衰退と復活

その後、気球は冒険家や金持ちの趣味としてのブームとなりますが、どうしても風まかせとなってしまうため輸送手段としては適さず、飛行船や飛行機が生まれることで衰退して行きました。しかし、第二次世界大戦後にアメリカで近代式熱気球が生まれます。

近代式熱気球とはナイロンなどの化学繊維で作られた風船部分にプロパンガスを燃料にして飛行するもののことです。これにより気球はスカイスポーツとして復活することになりました。気球の不自由さを逆手にとって、スポーツとしての技術を磨くという過程へと至ったからでしょう。世界各国で色々な大会が開かれており、日本でも各地で気球大会が開かれています。

その中でも最も大きいのは「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」でしょう。この大会はアジアでも最大級の大会と言われています。ふわりと空に浮かぶ気球。スポーツとして楽しむ楽しさも、その鮮やかな姿を地上から眺める楽しさもあります。

もし、気球を見かけたら是非手を振ってみてください。もしかしたら、気球からもあなたを見つけているかもしれませんよ。
(Photo by Willem ter Haar, Björn Appel)

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