日本人の花であるサクラ
今から、サクラの中でも有名な”ソメイヨシノ”についてお話しします。日本人はサクラが大好きで、冬が過ぎると桜の咲く時期を楽しみに待つものです。また、サクラの開花予想のニュースも、テレビやインターネットでたくさん出てきます。なぜ、我々日本人はここまでサクラに興味があるのでしょうか?
これは、日本人が「はかなさ」という考え方を大切にしているからです。サクラは満開になったときの美しさだけでなく、たった1週間ほどで散ってしまう潔さ(いさぎよさ)も、日本人に愛されている理由のひとつです。サクラを見て、「私達の人生は一瞬で過ぎ去ってしまうサクラのようなものだ」と感じる人が多いのでしょう。
新渡戸稲造(にとべいなぞう)は、彼の著書である”武士道”の中で、サクラの美しさについて解説しています。また戦時中の日本では、サクラが散っていくことの美しさと、自分の人生を重ねることが美徳とされていました。これが理由で、旧日本軍はサクラをシンボルとして軍歌や特攻隊の名前などに用いたと考えられています。
たくさんの日本人がサクラの美しさを大切にしています。例えば、友好の印として海外にサクラをプレゼントすることもあります。
しかし 藤原正彦氏が「国家の品格」という著書の中でこう書いています。「欧米人がサクラの美しさに見とれることがあっても、日本人のように足を止めてまでじっくりと見ない。これは、海外の人が桜を美しいと感じるだけで終わるのに対して、日本人が”はかなさ”を大切にしているからではないか」と書かれています。
サクラの語源にはいろんな説がある
サクラという名前がいつ頃付けられたのでしょうか。ちなみにサクラの歴史はかなり古いです。3000年以上前からサクラという言葉が存在するという説があります。やはり、歴史と伝統のある花ですからいろいろな言い伝えがあります。
まず、サクラという言葉の語源は、日本最古の書物である古事記から来ていると考えられています。この本の中で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)という女神が、富士の頂上から花の種をまいて咲かせたというエピソードがあります。つまり、さくやが転じてサクラとなったという説があります。
次に、サクラは、春になると「さ」(穀物の霊)が「くら」(神様が鎮座する場所)へやってくる場所だという説があります。これは、サクラの咲く時期が、農作業のタイミングを表していたからです。サクラは穀物と関係が深いと分かります。
サクラの収穫と使用方法
サクラはいろいろな方法で食べることが出来ます。一般的な”ソメイヨシノ”は観賞用ですが、食用のサクラはオオシマザクラやヤエザクラなどが大半です。
伊豆半島などでは、収穫専用のサクラとして”オオシマザクラ”を栽培しています。だいたい170cmくらいの高さに育った時に花を収穫していきます。こうすることで、数年後に再び収穫することができます。
ちなみに、サクラの花を塩漬けにすると、”クマリン”という成分が出てきます。このサクラの香りというのは、塩漬けすることで生まれると考えられています。サクラの塩漬けを利用して、桜湯、桜ご飯、和菓子、お吸い物、また日本酒などにも浮かべることがあります。その中でも、”ヤエザクラ”は色が濃いため、サクラの中でも重宝されています。
桜湯の歴史について
今の日本では、桜湯は縁起の良い物として結婚式などでよく出されます。しかし昔の日本だと、桜湯は縁起の悪い物とされていました。
桜湯は縁起が悪いとされていた理由は、花が散る頃になると急速に色がさめてしまうサクラもあるからでした。これを、「桜ざめ」といいます。結婚式の時に桜湯を出して、新郎新婦の気持ちがさめてしまうかもしれないと考えられていました。
しかし現在では、桜湯は結婚式に出てきます。桜湯の縁起が悪いという考え方は江戸時代初期までだったので、今は気にしなくていいでしょう。
(Photo by Sbn1984, Hans Braxmeier, Cjbvii)